丹念な考証で花巻のまちをかけめぐる

藤尾正人

1925年、兵庫生まれ。元キリスト同信会伝道者。

「雨ニモマケズ」で有名な宮沢賢治が、こんなに多くのクリスチャンにとりかこまれていたとは知りませんでした。岩手県花巻は、いかにも田舎町らしく、無教会とバプテスト教会の信徒同士、仲がいいのです。しかも、これらクリスチャンは、日蓮宗に改宗した宮沢賢治とも、たがいの信仰を尊敬しあい、親しくまじわり、影響を与えあっています。賢治自身、盛岡高等農林の学生時代、教会のバイブル講義に通っています。

初めて知ったのは、賢治に「基督再臨」という詩があったことです。「おまえらは/わたしの名を知らぬのか/わたしはエス/おまえらに/ふたたび/あらはれることをば約したる/神のひとり子エスである」。これは再臨運動の内村鑑三の影響だと著者はみています。鑑三と賢治は同じ理学系で、しかも真剣な信仰者という共通した心情があったというのです。

その内村の弟子の斉藤宗次郎は、賢治の「雨ニモマケズ」のモデルの人物ともいわれ、小学校長の照井真臣乳も有力な無教会信徒で、賢治の小学五年生の担任です。賢治の父・宮沢政次郎は、内村の『聖書之研究』誌の読者で、斉藤宗次郎が非戦論事件でごうごうたる非難を浴びたさい擁護者の一人でした。

本書は丹念な考証の上に、花巻のまちの大路や裏道をかけめぐり、まるで賢治の息づかいがきこえるような筆の運びで、賢治のまわりのクリスチャンをおもしろいようにつぎつぎ登場させます。

本書の表紙を飾る、賢治が後ろ手に土を踏む有名な写真を撮った藤田屋写真館は、賢治の家から数軒南です。その写真館との間に、のち救世軍の山室軍平と結婚した佐藤機恵子の実家があり、写真館の南隣りには、花巻バプテスト教会の重鎮・島栄蔵が住み、写真館の向かいはやはり教会員の永田耕作、その北隣りは中村豊吉・陸郎・愛子ら熱心なクリスチャン一家がおり、みな賢治と親しい仲でした。

これまであまり知られなかった宮沢賢治の新しい側面を明らかにした画期的な労作でしょう。

当時の信仰者の姿が生き生きと

若井和生

1968年、山形生まれ、岩手育ち。

保守バプテスト同盟・水沢聖書バプテスト教会牧師。

岩手で信仰をもって歩む者として、花巻は以前から気になる町でした。著名なキリスト者を多数輩出している町だからです。北大の初代総長となった佐藤昌介、救世軍の山室軍平夫人となった山室機恵子、宮沢賢治に大きな影響を与えた無教会派の斎藤宗次郎……。盛岡出身とされる新渡戸稲造のルーツもまた花巻にあります。「花巻には何かある。少しずつ調べていこう」と思っていた私の疑問と好奇心に見事に応える本が今回出版されました。雜賀信行著『宮沢賢治とクリスチャン 花巻篇』です。

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宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読めば、賢治がキリスト教の影響を強く受けていたことがすぐにわかります。実は賢治は、当時の花巻で何人ものキリスト者たちと親密な交友関係を持っていたことを、この本はたくさんの資料をもとに明らかにしました。

私はこの本を感謝しながら読みました。まず花巻のキリスト者たちとの交流を通して、キリスト教の信仰を求める賢治の姿が明らかにされているからです。全国の賢治ファンに大きな影響を与えていくことでしょう。

同時に、当時の花巻の信仰者たちの姿が生き生きと描かれていることに深い感銘を覚えました。キリスト教に対する偏見や激しい迫害が寄せられる当時の花巻で、信仰を分かち合い、共に励まし合いながら、地に足のついた歩みを続けていた信仰の先輩たちがいたことを知らされました。そんな彼らの交わりと祈りの中に、宮沢賢治も加えられていたとは、何と素晴らしいことでしょうか。

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この本は、花巻という一つの地域の中に福音がどのように織り込まれ、どのような影響を後世に与えていったのか、日本における「宣教の土着化」という大事なテーマに取り組んでいます。同様の取り組みが全国各地で始められていくことを期待しています。

(『クリスチャン新聞』2015年11月29日号レビュー欄から)